50代からの終活|会社員という「役割」の先へ。「終活」を通じて、自分らしい定年後の生き方を見つけるための3つの視点

「定年後、働きますか?」

この問いを投げかけられたとき、あなたは即座に、迷いなく答えられるでしょうか。

「もちろん、まだまだ現役だ。子供の教育費もかかるし、住宅ローンも残っているし」と答える人もいれば、「少しゆっくりしたいな。でも、年金だけでは心もとないし……」と答える人もいるでしょう。
他方、その答えの裏側に、一抹の「不安」や「迷い」、あるいは「諦め」のような感情はないでしょうか。

「働くといっても、今の会社にしがみつく形でいいのだろうか」
「再雇用で給料が半減しても、モチベーションを維持できるだろうか」
「かといって、会社を辞めたら、毎日家で何をして過ごせばいいのだろうか」

私自身、人事担当者として、そのような迷いの渦中にいる社員と向き合った経験があります。

株式会社ニチレイに勤務していた時、人事部が50歳の社員を対象として開催した「キャリア50」という研修に事務局として携わったことがあります。40歳頃だったと記憶しています。この研修では、50歳を節目に、外部講師の方を招いて、講義とワークショップ形式で自分のライフプランを見直すことを目的とするものでした。研修は参加者にライフプランの重要性が伝わる質の高い内容でした。参加者の満足度も高かったです。「改めてこれからの生き方を見直したい」「いきあたりばったり、成り行きまかせは、よくないと気づいた」等の感想が寄せられました。

当時の私は、研修を主催した人事の関係者として安堵したものの、50歳になって初めてライフプランを見直すことは、いささか準備不足ではないかと感じていました。もっと早く自己責任で準備すべきことだろうと感じていました。
同時に、私は、『頭では理解できても、心がついていかない』という50代特有の難しさも痛感しました。
しかし、今、50代になった自分を振り返りますと、40代で準備することはおろか、50代前半でも準備することはありませんでした。
「やらなくても、とくに大きな支障はない。」とその必要性を感じ取っていなかったからです。

そんな私に転機が訪れます。それは、父の介護と看取りです。
実家で一人暮らししている父を週末の土日に介護する。介護するといっても、一人で歩けましたし、食事もできました。平日は介護・看護事業者の方々が支援してくださっていました。それゆえ、週末、実家に行き、食事、買い物、洗濯、掃除等こなせばよかったので、7年間を乗り切れました。
父の介護を通して、「自分が元気なうちに、どのように生きていきたいか」ということをあらかじめ整理しておくことの重要さに気づきました。
お金のこと、自分が愛用してきたモノのこと、病に倒れたときに希望する処置のこと、諸々のことを、自分の言葉で伝えることの重要さを痛感しました。

50代半ばにして、ようやく、50代からのキャリアを真剣に考え始めることになったのです。定年を前にして、その切実さは増すばかりでした。

ビジネスパーソンとして、会社の中で働くことが日常となっている日々。毎日が忙しく、時間が矢のように過ぎてしまう日々。そんな毎日で、自分の未来のことを考える機会をもつことは簡単ではありません。

しかし、いずれ訪れる長年背負ってきた「会社員」という役割(看板)が無くなるとき、忙しさのあまり考えていなかった「自分の将来の在り方」に直面せざるを得なくなります。

組織の論理、会社の目標、与えられた役職……。
それらに適応し、期待に応えることに全力を注いできた結果、いざその「役割」を降りる時が近づくと、「で、自分はどうしたいんだっけ?」という、自分自身のよって立つ軸を見失ってしまう可能性が一気に高まります。

もし、あなたが今、定年後の働き方や生き方に迷いを感じているなら、必要なのは「転職サイト」で求人を眺めたり、「稼げる資格」の勉強を始めたりすることに加えて、取り組んでいただきたいことがあります。

それは、「終活」です。

「えっ、まだ元気なのに終活?」
「働き方の話をしているのに、死ぬ準備をするの?」
「なんだか縁起でもない」

そう思われたかもしれません。そう感じられることは、ごく自然なことです。

私は、「誰に何を残し、誰に何を託すか」という視点が終活には必要であることを提唱しています。「終活」とは、単に自分にかかわる情報を整理することのみではなく、「どのように生きていきたいか」という自分の内なる声を言語化することであると捉えているからです。

会社員という役割を終えた後、自分という一人の人間が、残りの人生という時間を充実して過ごすための、「自分の生き方を見つける」ための自律的な活動なのです。

今回は、定年後の生き方を見つけるための、50代からの「終活」をテーマにします。

なぜ今、終活が必要なのか。
終活によって、何を得られるのか。

50代からのキャリアをより良くするためのヒントをお伝えします。

なぜ50代の今、「終活」が必要なのか?

「終活」という言葉を聞くと、多くの50代の方は反射的にこう思います。

「親の世代がやることでしょ?」
「自分はまだ身体も動くし、仕事もある。もっと先でいい」

冒頭にお伝えしたとおり、私自身もまだまだ先のことと認識していましたし、「終活」を意識することさえありませんでした。

しかし、あえて申し上げます。
50代の今こそが、真剣に終活を始める「ベストタイミング」なのです。

「終業」ではなく「創業」

まず、誤解を解いておきましょう。
終活とは、人生の幕を下ろすための「店じまい」の作業ではありません。
会社員という第一のキャリア(役割)を卒業し、あなた自身が自分の人生にかかわるオーナーとなる「創業準備」です。

今、多くの市区町村などの自治体が、「終活支援」に力を入れていることをご存じでしょうか。エンディングノートの配布や、終活セミナーの開催など、行政が積極的に「終活」を推奨しています。
これはなぜかと言えば、終活が単なる個人の問題ではなく、高齢者が地域社会の中で最後まで自分らしく、安心して生きるための「インフラ」であると認識され始めたからだと、私は感じています。
このことからもわかるように、もはや終活は、一人の成熟した大人が整えておくべきことになりつつあると思うのです。

「先送り」が招く、取り返しのつかないリスク

では、なぜ50代の今なのか。

それは、終活(=これからの生き方の再設計)を先送りしたまま定年を迎えてしまうと、私たちは「自分の人生のオーナーとしての自律性」を失うリスクがあるからです。
想像してみてください。
「まだ考えなくていい」と先送りし、何の準備もしないまま定年を迎えた日のことを。
会社からは「再雇用制度があるから、この条件で働き続けないか」と提案されます。提示されたのは定年退職前よりもかなり落ちる条件。
「こんなものか・・・・」と思っても、他に行く当てもなければ、自分が何をしたいのかもわからない。住宅ローンや生活費の不安もある。

その結果、「言われた通りに働く」あるいは「職を持たずに日々を過ごす」という、流されるだけの人生後半戦が始まってしまうのです。

しかし、どうせならば、定年後の働き方を「会社任せ」や「お金の事情」を考慮したとしても、その考慮の中に、「自分がこうありたい」という意図を含ませられたとしたならば、どんな未来につながるでしょうか。

自分が自分の意思で選んだ、という自律的な要素をもって納得して選んだ道は、充実した時間を過ごすことにつながるのではないでしょうか。

私は、そのための準備として、50代からの「終活」が、有効な選択肢の一つになると考えています。

自分らしい生き方を見つけるための「3つの視点」

では、具体的にどのようにして、自分らしい定年後の生き方を見つければよいのでしょうか。
私が提案するのは、次の「3つの視点」を持つことです。
この3つの視点を持つことで、「終活」に取り組む意義をご理解していただけると思います。

視点1:【時間軸】「健康寿命」から逆算する

一つ目の視点は、「時間」です。
それも、単なる寿命ではなく、「健康寿命」というリアルな数字を直視することです。
日本人の平均寿命は男性で約81歳、女性で約87歳と言われています。
「人生100年時代」とも言われ、定年後には20年、30年という長い時間が残されているように感じます。
しかし、ここで重要なのが「健康寿命」です。
健康寿命とは、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のこと。この健康寿命は、平均寿命よりも約10年短いと言われています。男性であれば、およそ72歳前後が平均的な健康寿命です。
もしあなたが60歳で定年を迎えるとしたら、自分の意思で元気に動き回り、新しいことに挑戦したり、社会に貢献したりできる時間は、「約10年」しかないかもしれないのです。

「定年してから、ゆっくり考えよう」
「仕事が落ち着いたら、旅行にでも行こう」

そう思っているうちに、貴重な「動ける時間」は過ぎ去ってしまいます。

この事実を知ると、時間の使い方が変わります。

「いつか」ではなく「今」やらなければならないことは何か。
限られた時間を、大切に過ごさないといけない。

きっとこのように痛感するはずです。

視点2:【資源】「お金の情報整理」で小さく始める

二つ目の視点は、「資源(リソース)」です。
会社員を卒業すると、私たちは「会社の看板」や「役職」という強力な武器を失います。丸腰になった自分に、一体何が残されているのか。
それを知るために行うのが、「情報の整理」です。
ここで私が強くおすすめするのが、「お金に関する情報」を徹底的に整理することです。

いわゆる「自分探し」や「強みの分析」といったことから始めようとすると、多くの人は手が止まってしまいます。

しかし、「事実」を確認する作業なら、その気になれば必ず実行できます。
具体的には、つぎの情報をすべてテーブルの上に広げてみてください。

  • 預金通帳(すべての口座)
  • 株式や投資信託の報告書
  • 生命保険、医療保険の証券
  • 住宅ローンの返済予定表
  • ねんきん定期便
  • クレジットカードの情報(サブスクリプション含む)

これらの情報は、あなたがこれまでの人生で積み上げてきた努力の結晶です。

「意外と預金があるな。これなら無理してフルタイムで働かなくても、週3回のペースで好きなことを仕事にできるかもしれない」
「年金受給額はこれくらいか。生活レベルを少し見直せば、早期リタイアも夢ではないな」
「保険に入りすぎているな。これを見直せば、趣味に使えるお金が増えるぞ」

このように、お金の情報を整理し、自分の「金銭的な事情」を客観的に把握することは、極めて重要です。
残念ながら、お金は生きていくために必要です。50代からのキャリアを考えるとき、具体的な選択肢を見極めるうえでも、重要な情報です。

お金にかかわる情報を整理することで、事実を直視することを体感する。

50代のキャリアを見極めるための、最初のステップであると、私は考えます。

視点3:【関係性】「残す・託す」で自分の価値観を確かめる

三つ目の視点は、「関係性」です。
これは、湘南キャリアデザイン研究所が最も大切にしている視点です。

整理した自分にかかわる情報(人との関係、経験、知識、スキル、所有物、お金等)を前にして、自分自身にこう問いかけてみてください。

「私は、これを『誰』に残したいだろうか?」
「私は、これを『誰』に託したいだろうか?」

私は、終活の本質は、「誰に何を残し、誰に何を託すか」を決めることだと提唱しています。

たとえば、お金の整理をする中で、自分が配偶者よりも早くこの世を去ることになったのならば、「残された配偶者のために、少しでもお金を残したい」という想いが湧いてきたとします。
すると、定年後の自分の生き方に少なからずポジティブな影響をもたらすのではないでしょうか。
「生活のために嫌々働く」のではなく、「残された配偶者が困らないように働く」という明確な目的が生まれます。目的があれば、どのような仕事であっても、そこにやりがいを見出すことができるはずです。
あるいは、仕事の経験を振り返る中で、「自分が苦労して身につけた知見を次世代の若手に託したい」という想いに気づいたとします。
すると、選択肢は「高収入の仕事」ではなく、「若手育成に関われる仕事」や「ボランティア活動」になるかもしれません。

「誰かのため(残す・託す)」という視点を持つことで、自分が大切にしたいことが明確になる。これは、自分の価値観が明確になることとも言えます。

【実践】なぜ「お金の整理」から始めるとうまくいくのか

ここまで3つの視点をお伝えしました。いざ実践しようとすると、「やっぱり面倒だな」「気が重いな」と感じる方もいるでしょう。
そこで、私が提案する具体的なアクションはたった一つです。

「視点2でお伝えした「お金の情報整理」で小さく始める」です。

なぜ、お金の整理からなのか。
それには、脳科学的な理由があります。
「作業興奮」という言葉をご存じでしょうか。 やる気というものは、やる前に湧いてくるものではなく、「やり始めた後から湧いてくるもの」だという理論です。
いきなり「人生の意味とは?」や「自分の歴史を振りかえろう」といったことに取り組もうとすると、脳は拒否反応を示し、先送りを決め込みます。
しかし、「通帳を記帳する」「引き出しの保険証券を探す」「不要なレシートを捨てる」といった単純作業であれば、脳への負荷は小さく、すぐに着手できます。
そして、手を動かしているうちに、「ついでにあの書類も整理しよう」
「あっちの棚も片付けよう」と作業に没頭するようになる。そうこうしているうちに、「そういえば、この保険は家族のために加入したんだったな」
「この貯金は、退職後の旅行に使おうと思っていたんだ」
というように、「お金」にかかわる自分の想いが整理されていくはずです。
情報は、散らかったままだと「不安」な状況を作り出しますが、整理されるとその「意図」がはっきりと形を表します。
部屋が片付くと心がスッキリするように、お金の情報が整理されると、定年後の生活に対する漠然とした不安も整理されます。

不安の絶対量が小さくなれば、創造的なことに取り組む余裕を持てます。
ゆえに、「終活」を、自分の人生をより良くする手段として捉え、具体的に取り組めるようになるのです。

まとめ:役割の先にある、あなただけの物語

会社員には、必ず「終わり」が来ます。
しかし、それはあなたの人生の終わりではありません。
会社から与えられた「役割」を卒業し、あなた自身が自分の未来を自分の価値観に基づいて、自分の言葉で描くきっかけに過ぎません。

定年後も働くのか、働かないのか。
どのような仕事を選ぶのか。

その答えは、あなた自身が持っている「情報」の中に、そして、その「情報」から浮かび上がってくるあなたが大切にしてきた「価値観」の中にしかありません。

50代からの人生は、あたかもサッカーの試合でいうアディショナルタイムのようなものです。

サッカーの試合では、選手は、勝っているときは勝ち抜けようとする、引き分けているときは勝利を手にしようと懸命に動く、負けているときは自分のプライドをかけ、やれることを懸命にやる。

ビジネスパーソンにとって、定年後からの時間は、アディショナルタイムです。サッカーの試合のように、どのような状況でも懸命に動く、一番熱い時間なのです。

その時間を最高のものにするために。
後悔なく、自分らしい足跡を残すために。

「誰に何を残し、誰に何を託すか」という視点で取り組む「終活」は、50代からのキャリアをより良くするための最初の一歩です。

今日お伝えした3つの視点は、自分らしい定年後の生き方を見つけるヒントです。

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