50代の早期退職・役職定年は「終わり」ではない。実家じまいで知った、「終活」を通したキャリアの再設計方法

はじめに:会社の名刺を置いた時、何が残るだろうか?

その瞬間は、予想以上に静かに訪れます。

役職定年を迎えた当日。
役職定年後に自分に任された職務。
あるいは、早期退職制度の優遇措置が書かれた案内文書。
早期退職のエントリーシートにサインをし、申し込みを決めた瞬間。
長年、背負い続けてきた「部長」や「課長」という肩書きや、会社における自分の役割があたかも音もなく自分の消え去っていく感覚。

これまで件名に、会社の中で奮闘してきた。組織の論理の中で戦い続けてきた。そういう自負がある人ほど、50代になって、会社における役割が大きく変わった後に襲ってくる喪失感は深く、冷たいものです。

翌日から、毎朝通っていたオフィスに行く必要がなくなる。
部下から決裁を求められることも、緊急のトラブル対応で携帯電話が鳴ることもなくなる。
わかっていることだけれども、それを受け止めきれない。心に底知れぬ不安がよぎるのではないでしょうか。

「私は、一体何のために仕事をしてきたのだろう?」

50代のビジネスパーソンが自分の役割が大きく変わるとき、ともすると、自分という人としての存在価値が、まるで半減してしまったかのような孤独感を覚えるときがあります。
もし、あなたが今、このように「何かを失った」という喪失感を感じているのなら、どうか少しだけ、私の話に耳を傾けてください。

私は人事(HRM)の専門家として、30年近くにわたり、多くのビジネスパーソンの「引き際」と「再出発」を見てきました。その経験から、あなたにお伝えしたいことがあります。

50代の転換期は、あなたの50代からの人生を俯瞰するうえで、極めて重要な時期である。ということです。

会社における肩書きがなくなっても決して消えることのない、あなたがこの世に生を受けてから築き上げてきた自分の大切な価値観を自分の言葉で確かめる時期であるからです。
仮に60歳で定年を迎えたとしましょう。健康で過ごせる健康寿命は男性で72歳、女性で75歳。定年後、統計的には10年以上の時間が残されています。
この残された時間を、自分らしく活かすことが、たった一度の人生を生き抜くためには必要だと、私は考えています。定年後の長い時間を漫然と過ごしてはいけないのです。

私たち湘南キャリアデザイン研究所は、定年後の人生も含めて、50代のビジネスパーソンが自分のキャリアをより良くすることを「終活」を通して見いだすことを提唱しています。
「終活」と50代からのキャリアの再設計に何の関連があるのか?といぶかしがる方もいらっしゃると思います。

「まだ死ぬわけじゃないのに、終活なんて」
「縁起でもない。俺はまだ現役だ」

そう思われたかもしれません。
しかし、湘南キャリアデザイン研究所が提唱する「終活」は、自分の死後に備えた情報の整理に留まるものではありません。50代のビジネスパーソンが、これまでの人生で積み上げてきた「想い」を、「ヒト・コト・モノ・カネ」の4つの領域ごとに「誰に何を残し、誰に何を託すか」という視点で整える自律的かつ前向きな「終活」です。

藤沢の実家じまいで気づいた、モノに宿る「歴史」との対話

私が「終活」を、50代からのキャリアの再設計の核心に据えるようになったきっかけは、私自身の強烈な原体験にあります。
教科書で学んだ理論ではなく、個人的な体験ではあるものの、心の底から「これを伝えなければならない」と思った出来事。
それは、祖父母、両親を見送った後、私が生まれ育った築67年の実家を「しまう(処分する)」時の経験にあります。

築67年、昭和の記憶が詰まった家

藤沢の実家は、私が幼少期から大学時代、そして社会人として巣立つまでの時間を過ごした場所です。
古い木造の玄関を開けると、柔らかい木の廊下が続く。玄関を入ってすぐ横に祖父母が使っていた8畳の和室。20畳のリビングルームと、家族7人で囲んだダイニング。柱の傷、廊下の軋む音、庭の木々のざわめき。そのすべてに、家族との思い出やそれにまつわる記憶が染み付いていました。

祖父母、両親が亡くなり、空き家となった実家。できることならば、そのまま残したい。しかし、相続にあたり、それは叶わない現実を受け止めた瞬間。
頭では分かっていました。誰も住まない家を維持することは現実的ではないし、区切りをつけなければならないと。
しかし、いざ片付けを始めると、手が止まってしまったのです。

家の中には、祖父母の代から受け継がれた重厚な家財道具や、第二次世界大戦の戦禍をくぐり抜けてきた品々、そして両親が大切に使っていた昭和の生活道具が溢れていました。
祖父が大切にしていた絵画、本、硯、筆。
祖母が愛用していた花瓶、鏡台。
父が家庭菜園で使っていた農機具。
母が使っていた鍋。
家族で囲んだ昭和の時代をともに過ごした木製の家具たち。
子供の頃、弟や妹と遊んだおもちゃ。

それらを一つひとつ手に取り、「捨てる」「残す」の判断を下していく過程は、単なる「不用品の処分」ではありませんでした。まるで自分自身の体の一部を切り離し、過去の自分を否定するような、身を引き裂かれる痛みを伴うものでした。

なぜ、これほどまでに捨てられないのか

「もう使わないものだ。合理的になろう」
そう自分に言い聞かせても、ゴミ袋に入れる手が震えます。
一度はゴミ袋に入れたものの、そこから出して、どうしようか思案する。
胸が締め付けられるような苦しさが何度も襲ってきました。

なぜ、これほどまでに辛いのか。
家族の写真が収められたアルバムをめくりながら、悩み抜いた末に、私はある結論に辿り着きました。

「私が手放しがたいと感じているのは、モノそのものではなく、そこに宿る『想い』や『歴史』なのだ」

父は、この農機具を使って、どんな思いで野菜を作っていたのだろうか。孫においしい野菜を食べてもらいたいとおもっていたのだろうか。なにが父をそこまで突き動かしていたのだろうか。
戦禍をくぐり抜けた道具を、祖父母や母は、どういう思いで残そうとしたのだろうか?

こうやってモノの背景にある「物語」に心を馳せるプロセス。

このプロセスを通して、モノに込められた想いを想像していたとき、私が持っているモノに関しても、特別な想いが込められていることに気づいたのです。特別な想いとは、「自分がなぜそれを大切にしてきたのか」という「価値観の源泉」が宿っているということに気づいたということです。

モノを捨てることの痛みを通して、モノに込められた「想い」の深さを伝えることができる、実家じまいを通して、いずれ訪れる私が人生を閉じるときに、自分の「想い」を伝えることの意義深さと、そのための準備が自分の人生をより良くすることにつながると気づいたのです。

行政も推奨し始めた「前向きな終活」

こうした「終活」を通じた自己の再発見は、決して私個人の感傷的な体験にとどまらないと感じています。
例えば、神奈川県川崎市宮前区では、区を挙げて「プレ・エンディングノート」を作成・配布し、現役世代からの「アーリー終活」を推奨しています。
「人生の終わりなんてまだ先だ」と思っている50代、60代に向けて、早いうちから前向きに人生を振り返り、想いを整理することを促しているのです。

「死ぬ準備」ではなく、「これからをどう生きるか」を決めるためにこそ、過去を振り返る。それによって、人生後半生が豊かになる。
行政もこのことに気づいているのではないかと、私は受け止めました。

第2章:「ヒト・モノ・コト・カネ」を通して、あなたの想いを整理する

ここから、何をどのように進めればよいのか、お伝えしたいと思います。
私がおすすめしているアプローチは、自分の「財産」を、「カネ」「モノ」「コト」「ヒト」の4つの領域に分類し、それぞれの背景に宿っている「想い」や「価値観」を整理していくものです。
財産目録につながる部分もありますが、4つに分類した領域にかかわる自分の「財産」に宿る「内なる想い」を可視化していくのです。

1. 【カネ】数字の背景にある「願い」を語る

退職金や株式、不動産、預貯金。
住宅ローンや教育ローンといった負債。
これらの背景には、あなたが長年積み上げてきた時間の分だけ想いが込められているはずです。

例えば、あなたが保有している株式。
購入した理由は、「配当が良いから」だけではなく、「この会社の技術が、日本の未来を変えると思ったから応援したかった。」という理由も含まれているとしたら、その背景には、そのような選択に至ったあなたの「価値観」が存在しているはずです。

積み立ててきた定期預金。
そこには、言葉にしなかった「家族への感謝」が詰まっているかもしれません。そのお金に込められた「想い」には、あなたの「価値観」が存在しているはずです。

「このお金は、こういう想いで準備してきたものだ。だから、君たちの幸せのために、自由に使ってほしい」

この想いを伝えることは、「カネ」に「想いという体温」を与え、「残し」「託す」ことにつながるのです。

2. 【モノ】「捨ててもいいよ」という最高の優しさ

あなたが大切にしてきたコレクション、蔵書、写真、洋服等々。
あなたにとって、これらへの愛着はひとしおでしょう。
しかし、残された家族は、これらの「モノ」を処分するときは、かつて私が実家じまいのときに感じたように、処分することに戸惑ってしまうかもしれません。残された家族にとって、故人の思い入れが強いモノほど、処分の判断が難しく、精神的な負担になるからです。

本当の「思いやり」とは、そのモノの価値や思い出を十分に伝えた上で、最後にこう言ってあげることです。

「これは私にとって本当に大切なものだった。でも、私が死んだら、捨ててもいい。あるいは、この想いを○○に託したい。」「5年後に捨ててほしい。」といった、自分の想いを自分の言葉で残すことです。

その際、「残し、託す」ことは、必ずしも現存させることを伴うものではありません。自分が本当に大切にしてきた想いは伝える。一方で、「捨てる」という想いを残し、その行為を託すということも選択肢なのです。
自分の死後、残された家族に残し、託すことの背景に、あなたの大切にしたい「価値観」が宿っているのです。

3. 【コト】経験と出来事の「意味」を託す

仕事での失敗、左遷の悔しさ、苦労して乗り越えたプロジェクト、家族と過ごした楽しかった思い出。
「あの時は大変だった」「楽しかった」という思い出話には、なぜそう感じたのかという「想い」が宿っています。
その出来事が、あなたという人間に何を与え、何を教えてくれたのか。その「意味」を言語化し、「残し」「託す」。

「あの時の左遷人事があったから、私は人の痛みがわかるようになった。順風満帆な出世コースでは気づけなかった、現場で働く人たちの苦労や優しさに触れることができた。あの挫折に、私の器を大きくしてくれたんだ。」

あなたの人生哲学(フィロソフィー)は、どんな有名なビジネス書よりも力強く、残された人々の心に響きます。
成功談よりも、失敗から立ち上がった話にこそ、あたなの「想い」が宿っているのです。

4. 【ヒト】感謝と「縁」の理由を伝える

エンディングノートの「連絡先リスト」に、名前と住所等の情報を整理することだけでは、もったいないです。
大切にしたいことは、「なぜ、その人があなたにとって大切なのか」を書き記すことです。
「〇〇君は、同期の中で唯一、私が一番ダメだった時期に黙ってそばにいてくれた恩人だ」
「家族へ。支えがあったから、今の私がいる。仕事人間で迷惑ばかりかけたけれど、心から感謝している」

面と向かっては、照れくさくて言えない感謝も、ノートになら書けるはずです。
あなたが人を大切に思う理由は、あなたの大切にしたい「価値観」がつまっています。残された人々にとって、あなたという人間を深く理解する最後の手がかりになります。
そして何より、人間関係を棚卸しすることで、あなた自身が気づくはずです。
「自分は、こんなにも多くの人に支えられて生きてきたのか」と。
その感謝の念は、定年後の孤独感を癒やし、新たなコミュニティへと踏み出す勇気を与えてくれます。

第3章:「誰に何を残し、誰に何を託すか」が決まれば、キャリアの軸が定まる

こうして「誰に何を残し、誰に何を託すか」を真剣に考え、自分の内面にある「価値観」と向き合うこと。
実はこれこそが、役職定年後や早期退職後、50代からのキャリアをより良くするキャリア・リノベーションにつながります。

なぜか?

それは、キャリアとは、単なる職務経歴の羅列ではなく、あなたが積み重ねてきた「生き様」そのものだからです。

自分軸が定まれば、ビジネスの迷いは消える

終活を通じて、「自分は家族との時間を最優先したいんだ。それが私の『願い(カネ・コト)』だ」と深く気づいたなら、どうでしょう。
見栄を張って、高収入だけれど激務でストレスフルな仕事に就く必要はないと、迷いなく判断できるはずです。再雇用の給与が下がったとしても、「家族との時間」という報酬が得られるなら、それは豊かなキャリアです。

「次世代に自分の経験(コト)を託したいんだ。それが私の『使命』だ」という想いが溢れてきたなら、どうでしょう。
あなたの次のステージは、単なる労働力の提供ではなく、若手の育成や地域社会でのボランティアリーダーにあるのかもしれません。

一人の人間としての「軸(誰に何を残し、何を託すか)」が定まれば、ビジネスパーソンとしての「迷い(どの会社に行くか、いくら稼ぐか)」は、霧が晴れるように消えていきます。

50代からのキャリアは「機能」から「意味」へ

20代、30代のキャリアは、スキルを磨き、成果を出すことに重いていたかと思います。提供する「機能」の質を高めるということです。50代からのキャリアはこのことに加えて、あなたがそこにいることの「意味」が問われます。

「あの人がいると、場の空気が和む」
「あの人の経験談を聞くと、勇気が湧いてくる」
「あの人の判断には、ブレない軸がある」

これらのことを、自分が認識するためには、自分のことを的確に把握しておくことが必要です。そのためには、「会社の名刺」がなくなっても、あなたには「あなた自身の価値観」がわかっておくことが重要になる、と私は考えます。

そのためには、私たち湘南キャリアデザイン研究所は、「誰に何を残し、誰に何を託すか」という視点で終活が有効な手段になると考えています。

おわりに:ロスタイム(アディショナルタイム)を、誇りある一番熱い時間に

湘南キャリアデザイン研究所のウェブサイトに投稿しているブログに何度も書いている、私の敬愛するアーティスト、角松敏生さんの言葉をお伝えします。

それは、「ロスタイム(アディショナルタイム)が一番熱い時間」という言葉です。

角松敏生さんは、人生の後半生をサッカーの試合にたとえて、このように言われました。

試合時間の90分が過ぎた後のロスタイム(アディショナルタイム)こそが、試合において一番熱い時間だ。
勝っているときは、最後まで気を抜かずに勝利を確実なものにする。引き分けているときは、なんとか勝利をもぎ取ろうとする。負けているときでも、最後の一秒まで誇りをもって、一点をもぎ取りに行く。
ロスタイム(アディショナルタイム)には選手のプライドと、サッカーへの情熱が凝縮されているのだ。

この言葉を聞いて、私は、50代からのキャリアも同じことだと受け止めました。50代からの人生は、余生ではあるものの、人生において最も熱い時間にすることが大切なのだと。

自分が積み上げてきたものを、大切な人たちへ残し、託していく。そんな、人生で最も豊かで、最も充実した時間を過ごすことが、自分のたった一度の人生を豊かにするのだと痛感したのです。

役職定年や早期退職は、終わりではありません。
あなたが「会社のための守りの人生」から、「想いを残し、託す攻めの人生」へとシフトするための、極めて大切な転換期です。

「誰に何を残し、誰に何を託すか」。
その答えを一緒に見つけませんか?

私たち湘南キャリアデザイン研究所は、50代のビジネスパーソンが、自分の心の奥底にある「想い」(価値観)を形にするお手伝いをします。
あなたの人生という物語を、最高のエンディングへと導く伴走者でありたい。そう願っています。

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